2012年7月-京都見物・六波羅探検
7月の海の日の3連休に神戸に帰省し、その際に、京都に寄って京都見物した時の記事をUP。
京都という町は面白い町で、神戸に住んでいた学生時代はさほど興味は無かったが、歳を重ね日本の歴史を知れば知るほど、その歴史の所々に「京」という舞台が出てきて、その旧跡に行ってみたいという衝動にかられるようになった。
例えば、794うぐいす平安京から始まり、羅生門(小説にもありますネ)という門はまだ残っているのだろうか?とか。
龍馬伝という大河ドラマが放送された時期には、新選組の屯所のあった壬生や、池田屋、大政奉還の二条城、遊廓の島原。など今はどうなっているのか?とか。。
(参考)それらの過去記事↓
http://ya-ta-chan.cocolog-nifty.com/aibo/2011/07/2011716-6ba1.html
http://ya-ta-chan.cocolog-nifty.com/aibo/2010/10/2010108-e8e5.html
で、2012年の大河ドラマは、平清盛。ということで平氏の拠点があった「六波羅」にその名残が残ってないか探検に行ってきた。
日付は、2012年7月14日(土)
横浜から夜間高速バスで翌朝に京都駅に着き、そこから各所方面へ行くのに市バスの一日乗車券を調達。
500円で、3回乗ればオトク。
注意しなければならないのが、京都市バスのみに有効。
市バスが一番多く走っているが、タマに他の電鉄会社のバスが走っている。
市バスはうぐいす色なので、それさえ注意していれば問題ない・・・(794うぐいすで、うぐいす色なのかねぇ。。)
あとは、バス路線が複雑と言われている函館以上に複雑。
同じ行き先のバスでも経由地が違ったりして意図した停留所を通らなかったりする。・・・(←乗ってからそれすら気付けなければどうしようもないですが。。終点まで行くしかなく。)
私も意図した停留所にバスが通らず、近しいと思われる停留所で下車し、鴨川を少し北上。五条東山辺りで降りたかったがその辺には行かん様なので七条京阪辺りで下車。
鴨川の河川敷通りで、各橋の間の距離を示した標識があった。まぁ、京都の町は、「条」と「通り」で碁盤の目になっていて非常に分かりやすい。
七条から五条まで歩く訳ですよ。
鴨川のほとりで、先斗町っぽい通りに出たが、反対側の岸で、宮川町という所らしい。
六波羅辺りに到達した模様。
五条大橋の北東方面なんやね。
鴨川の外ということで昔の都の外れに当たる?
更に六波羅方面に入ると、六波羅らしい看板を発見!「六波羅飯店」
清盛の時代からあるかどうかは定かではない。
六波羅飯店のすぐ近くに、六波羅蜜寺。
西暦951年に開創なので、清盛の時代より前からある。
現代では、寺の領域が昔よりかなり狭くなっているそうですが。
六波羅蜜寺からさらに東(都の外れ方面)に行くと、「六道の辻」なるものが。
この世とあの世の境ということで、ここから先(標の右方面)はあの世の位置付けであった。
いくら何でもこの世の範囲が狭過ぎると思うが、人の数が現代よりずっと少ない当時では、京の都は随分と広い感覚であったのかも知れんねぇ。。
すぐ近くに、六道珍皇寺なる寺があり、そこには閻魔大王も設置されている。
更に先に行くと三年坂や二年坂、さらに先に清水寺があり、観光スポットが沢山。
こちらは三年坂と、八坂の塔。
平安京より古い592年に建てられたと言われ、何度か焼失し、現在のものは室町時代に足利義教が再建したもの。
そこからまた鴨川の方に戻ると八坂神社。祇園と呼ばれる一帯です。
八坂神社正門の近くにある餃子の王将で腹ごしらえ。
京都で食べる王将の餃子はおいしいねぇ。。
食べ終わったらもう一つ、歴史スポットへ。
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