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2012年8月23日 (木)

2012年8月-出羽旅行・大曲から山形へ&途中で院内銀山資料館見学

2012年8月5日(日)、夏の出羽旅行2日目。この日は朝から山形に向けて移動。

切符を確認しときましょうか。
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秋田駅から奥羽本線経由で地元駅まで9030円。

山形駅から大宮までの新幹線特急券5390円・・・(東京までの特急券より200円安いだけだった。。。)
特急券は次の日使う。




昨夜、秋田駅から大曲まで移動してきたので、スタートは大曲駅から。
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1027発の院内行きに乗る。
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大曲には、花火競技大会のポスターがあちこちに貼られていた。
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毎年8月の最終土曜日の模様。















大曲から1時間程で院内に到着。
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ここはまだ秋田県。次の及位駅は山形県になる。

院内駅前はたいしたモン無かったなぁ。

後続の電車は、1時間後の新庄行き。




院内駅に隣接して院内銀山資料館があるので見学を。
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昔、院内銀山街にあった異人館を模して造られたそうな。
なので、正式名称は、「院内銀山異人館」

入場料は320円。

先ず初めに1階で解説員から院内銀山の概要説明、麦茶をいただきながら。


2階が資料館になっている。

明治時代の院内銀山街の様子。
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院内銀山は、江戸時代初期に発見され、常陸から転封となった佐竹氏が治める久保田藩(秋田藩)の財政を大きく支えた。
掘りやすい鉱脈が掘り尽くされると生産量が落ちて衰退したが、掘削方法や銀山経営の改善などにより盛り返して日本一の生産量に。
幕末の騒乱で再び衰退するも明治時代に再び盛り返して日本一の座が長年続いた。

同じ場所を映した現在の様子。
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鉱脈の掘り尽くしや銀の価格下落によって、大正9年には坑道を閉鎖。

日本一の銀山ゆえ、各地から多くの働き手が来ており、閉山した現代ではその子孫が各地に散らばった状態になっている。そのため今でもルーツを訪ねてくる人がいるのだそう。


展示品の撮影は不可なので、キニナル人は実際に行って見てきてください。
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色々な銀鉱石や、当時の道具などが展示されている。








坑道の模型。
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しみ出てくる湧き水をポンプの原理で汲み出す作業も、掘る作業とは別に行わねばならなかった。
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坑道の深さは300~400mもあったと言われ、水を汲み出す方法の改良のため、平賀源内を招いたという記録もあるらしい。
銀山で働く人は重労働、通気の悪さ、粉塵などにより若くして病気にかかり、長生きできなかったそうで、30歳を過ぎると長寿の祝いをするのだそう。それでも子孫を残しているのはスゴイと思うが。


1時間程の滞在でしたが、勉強になった。
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今度は院内銀山街がどうなっているのか間近で見てみよう。・・・駅から4km程離れているらしいが。

では、奥羽本線で再び南下。





院内から1時間ちょっとで新庄に到着。この駅でレールの幅が変わるため、必ず乗り換えとなる。写真だと違いが分からんかな?
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新庄駅近くの急行食堂で昼食。「木村裕子」ちゃんのネームプレートがあったな何故か。
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急行食堂と言っても鉄道には関係無さそう。

新庄駅で再び奥羽本線で南下し、1時間ちょっとで山形駅に到着。
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ホテルでひとっ風呂浴びて、花笠まつりを見に行きましょうか。

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