2013年5月-東北旅行・米沢上杉まつり・川中島合戦
5月3日(木)、14:00、いよいよ川中島合戦が始まる。
こちらが2013年、米沢上杉まつりのポスター。
白頭巾が謙信公です。
軍配持っているのが信玄公。
「戦国史上最大の死闘と言われた川中島合戦、謙信と信玄の激しい戦いが今ここに蘇る」
合戦場の最上川河川敷に行くと、既に沢山の見物人が集まっていた。
早めに来て陣取らねばならないことを痛感。
仕方がないので、土手の上から立ち見で合戦見物することに。
こうして見ると勇壮で本当の合戦の様に見える。
手前の赤が武田軍、向こうが上杉軍。
武田軍の戦奉行(板垣氏だったかな)が、陣割を発表。
各隊の将の名が呼ばれ、前に出る。
陣割が発表された後、武田軍は川中島に向けて出撃開始。到着すると陣を張る。
次は上杉軍。
謙信公は、合戦の前に必ず『武帝式』なる儀式を行ったそうで、それを再現。神仏に代わって不正不義を討つという信念に基づき神仏に戦勝を祈るのだそうです。
あ、この時、私は先程いた武田軍側から上杉軍側に移動しています。・・・わしゃ、タイムスクープハンターか?!
上杉軍も出陣。
謙信公自らが先頭に立つ。
上杉軍、着陣。
早朝の霧が晴れ、武田軍八千の眼前には、妻女山に居る筈の一万を越える上杉全軍。
と言う設定。ナレーション付きです。
最も規模が大きかったと言われる、第四次川中島合戦を再現したもの。
不意を突かれた武田軍に対し、上杉軍による猛烈な攻撃が開始された。
各隊が呼ばれ、次々と出撃していく。
兵を二手に分けた「きつつきの戦法」を見破られた武田軍は、別動隊が戻るまでなんとか持ち堪えようと、十二段に構えた「鶴翼の陣」で必死に戦う。
それに対し、上杉軍は、「車懸りの陣」で信玄の本陣を固める十二段の備えを次々と破っていった。
ナレーションは上記の様な具合です。
武田軍の陣形は遠くて見えませんが、上杉軍はこのように綺麗に陣形を変えていった。
敵陣に切り込んでいく上杉軍の隊。
激しい戦闘が繰り広げられる。
ある程度の所で隊を引き上げ、体勢を建て直して別の隊を差し向け再度攻撃。
隊を退却させた後、上杉鉄砲隊による攻撃も。
鉄砲攻撃というより、鉄砲披露といった趣です。
しかし音が凄いわ。ライフルなんかとは訳が違う。
そして、ある時、馬上の武者が。
単騎で前へ。
単騎で敵陣に突っ込んで行った~~~!
白頭巾、謙信公その人です。
壊滅一歩手前の苦戦の中、信玄の旗本が全て本営の外で敵を相手にしていたその隙を狙った。
『一太刀、二太刀、そして三太刀』・・・謙信の太刀を軍配で受ける信玄・・・こちらからは遠くて見えません。。
やがて、信玄の配下が駆けつけ信玄は命拾いしたとさ。
兵力が半減している武田軍は苦戦を強いられていく。
合戦に夢中で、動画を撮るのを忘れていたので、ここらで動画を見ていただきましょうか。
妻女山に向かった高坂弾正率いる別動隊一万二千がようやく駆けつけた所となる。
では、動画、もう一丁。
乱戦の中、武田信玄の弟、武田信繁が討死。
この後、御館様の身代わりになる様に山本勘助も討死。
どれが山本勘助かは見えませんが。
兵が引くと、両軍に多数の死傷者が。
武田軍別動隊が到着後は形勢が逆転し、上杉軍が苦戦に・・・ただこのシーンは、かなり短くなってた・・・(時間の関係か、上杉まつりのためかは知れませんが)
1時間半程で合戦は終了(史実では早朝から夕方まで行われていたそうですが)。
武田軍、上杉軍、隊列を整え、観客にあいさつ。
いゃ~、歴史の勉強にもなるし面白かった。
日本にこんな祭りがあったとは。。
各隊の大将役はベテランが務めた様だが、兵卒は地元の高校生など若者達だった様子。お疲れ様でした。
米沢には他にも祭りがある様だから、機会があったらまた来てみるかな。
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