2013年7月-庄内旅行・城輪柵跡
庄内旅行最終日3日目、7月15日(月)、海の日。
この日は酒田に来た最大の目的、「城輪柵跡」(きのわさくあと)の見学へ。
酒田駅構内にある観光案内所では、無料で観光用レンタサイクルが借りられる。
無料なのはありがたいが、この獅子頭のヘッドマークはちとハズカシイ(笑)
かんなり目立つので盗難防止にはなると思うが。。
城輪柵跡の方角へ自転車を走らせる。
行き交う車から注目されていると思われるのは気のせいか。。
酒田市内から北東へ約8km、ようやく着いた。
前方に門が見えるのがお分かりか?
復元された門になる。
ここに昔、平安時代に出羽の国を治める国府があったそうな。
門を入るともう一つ門が復元されていた。
南門から入り東門を見ている格好になる。
西門は復元されておらず、建物跡の杭が復元されていた。
私が入った領域が政庁と言われる政治の中心部分で1辺が115m。城輪柵自体はその外側720m四方らしいが現代では田畑になっている。小型の平安京や平城宮を想像してもらえばいい。
こういった模型の方が全体が分かりやすいか。
政庁の中は築地塀(ついじべい)で囲まれ、東西南北に四つの門。正殿、後殿、東西脇殿などの建物。
イラストだとこうなる。
政庁に比べて、それを取り囲む城輪柵全体としては、このような広さ。
東門の外側から。
現代での復元状況はこの図の通り。
ちなみに、門の造りは蝶番(ちょうつがい)ではなく、昔の方式。
北西の外れから東と南の二つの門を望む。
海から比較的離れたこの平地に国府を造ったのは、何かしらの意図があったんやろうねぇ。津波を避けるとめとか、北に山があって北からの外的(当時の朝廷にとっての)の備えとか。
ただこの地は現代では町としては機能していない。
・・・謎のままです。
昔の日本を知るきっかけ、ほんの少しの断片を見た印象です。
では、また、自転車こいで酒田の町に戻ります。
行きとは違うこういうあぜ道を通りながら。
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