2014年7月-羽後旅行・国史跡・地蔵田遺跡
羽後旅行3日目。7月21日(月)、海の日。
この日は関東に戻る日ですが、午前はちょい観光。
予定していた地蔵田遺跡へ。
先ずは秋田駅。
梅雨明け宣言前だが天気は良かった。つか暑い。
ホームに行くと男鹿行きの電車がいた。
これに乗る訳ではない。サイドには「なまはげ」の絵が描かれてあり、青バージョンの「なまはげ」もある。
奥羽本線に乗り、秋田駅の南隣の駅、四ツ小屋へ。
左下の写真は到着後。
秋田駅の隣駅だが、辺り一面は田んぼ。
四ツ小屋駅は無人駅で駅標はなく殺風景。
地蔵田遺跡へのルート案内も全く無い。
そこで、スマホのナビゲーションの出番です。これのお蔭で最近、ムダ足が減った。
以前は予め印刷した地図に調べた場所の印をしといて、地図を見ながら歩いたもんだが。それで結構、道を間違えてあらぬ方向に歩いていたり。
特に飲み屋に辿り着くのが早くなったわ。
四ツ小屋駅の回りは田んぼばっかりだったが、少し丘を上がった所は新興住宅地だった。新しい家が沢山建っている。首都圏に建つ家よりも大きめで当然庭付き。
四ツ小屋駅から30分は歩きましたかね。
公園の奥に遺跡らしきものが。。
厳密には遺跡を復元したものになろうが。
近くまで来ると柵で囲まれているのが分かる。
復元された住居は3棟。
こちらが入り口。
通称、弥生っこ村とも言い、弥生ちゃんと弥太郎くんというキャラが設定されている。
弥生時代の遺跡というのは分かるが、漢字は既にあったのかね。
漢字はあったとしても一般庶民も使っていたかどうか。
・・・まぁ、この場ではそんな細かいことは気にせずに。
結構、本格的に復元されている。
中も入れます。竪穴住居というものらしい。中は涼しくはなかった。
蛍光灯がありますが、無いと暗くて展示の意味がない。
中は、土器や道具、日起こし場が復元されている。
解説員の方が後から来られて解説いただいたが、火は毎日だったか1日おきか忘れたが、実際に火を起こしているのだそう。
屋根が茅(かや)だったか、それに虫が付いて傷みやすくなるのだと。なるほど。
住居の外にはお墓も復元されている。
初めは当然何だか分からなかったが、解説員の説明で分かった。
墓穴も復元。大人用は大きく子供用は小さい。
大人は屈葬だが子供は土器に入れる模様。
あと、弥生人も食べたであろう米や粟、稗、黍も栽培。
他に茅(かや)も裏庭に多数栽培されており、屋根の張り替えに使われるそうだが、量的に半分ずつしか張り替え出来ないのだそう。
実際は遺跡が発見され、調査した後、盛り土がされその上に復元。
盛り土の下に遺跡は永久保存されているという訳。
ここいら一帯、宅地造成で多数の弥生時代の遺跡が見つかったそうだが、残されたのはこの一角だけだそうな。
地蔵田遺跡、来てみてよかったわ。ここまで整備されているとは思わなかった。
そういえば、有名な登呂遺跡まだ見てないな。
そういうきっかけを与えてくれた地蔵田遺跡。
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