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2015年5月25日 (月)

2015年5月-北海道旅行・月形樺戸博物館見学(樺戸集治監)

前回からの続き。
http://ya-ta-chan.cocolog-nifty.com/aibo/2015/05/20155--a383.html

5月3日(日)、石狩当別から石狩月形に移動して、樺戸集治監の見学。
石狩当別駅の行き先表示盤はかなり現代的であった。ちょい感動。


石狩当別から30分程で石狩月形に到着。
途中、古い鉄道貨車を改造した様な無人駅舎が多かったが、ここは比較的しっかりした駅。


駅待合室はかなり大正・昭和な雰囲気。映画にも使われそうな趣。


列車本数はやはり少ない。
札幌方面(全て石狩当別行き)、反対方向、共に1日7本だが、終点の新十津川行きは1日3本。
新十津川は終着駅なので今度行ってみたい。


では、樺戸集治監へ。
駅から5分位の所にあるらしい。
回りは、ちょっと田舎な住宅街。
お食事処が無かったなあ、ちょっと探したけど。
この辺の人らは何処で外食するのだろうか。


Aコープで軽くパンを買って昼食にして、樺戸集治監へ。
正式名は、月形樺戸博物館。隣(左側)には月形町役場がある。


当時の集治監を復元したものなのか、現存なのかは不明。
明治19年建設だそうです。(もらったパンフレットより)


何人もの人が長い年月の間、出入りしたことにより、すり減った石畳。

この後の博物館内の説明で、この建物は役人などが出入りするもので囚人が出入りすることはないというのを知ったので、足に付けられた鉄丸をひきずったためではなく、自然と人の出入りによってすり減ったものということになる。・・・(うーん、でも真相はどうなんやろ?)


そもそも、集治監とは何なのか、とお思いの方が多いと思うが、端的に言えば刑務所。
刑務所と違うのは、外で強制労働させられる所か。
なので足に鉄丸(鎖で繋がった鉄球の重り)を付けさせられる。全員に付けるのではなく規律違反者や脱走を試みた懲罰者だけだった様だが。

私がこの樺戸集治監を知り、見学したいと思ったきっかけは。
網走監獄の見学で、樺戸集治監が北海道で最初に造られた集治監で、その後、樺戸が本監、それ以外の北海道各所に出来ていった集治監が分監とされた、というのを知ったのがきっかけ。
網走監獄見学の記事はこちら↓
(前編)
http://ya-ta-chan.cocolog-nifty.com/aibo/2014/02/20141--8e3a.html
(中編)
http://ya-ta-chan.cocolog-nifty.com/aibo/2014/02/20141--e71c.html
(後編)
http://ya-ta-chan.cocolog-nifty.com/aibo/2014/02/20141--8f41.html

月形樺戸博物館の内部は残念ながら撮影不可。
入館料は300円です。
西南戦争などの日本各地で起こった元士族の反乱により、囚人が増え獄舎が不足したことが、集治監が造られたきっかけ。初めは宮城と東京に造られた。
北海道にも造られた理由としては、本州からの反乱分子の隔離、北海道の開拓・開発(ロシアからの防衛)、北海道の人口増(囚人が世に出てから住みつく)といったことが狙いと。

伊藤博文の命で、月形潔という人が自ら現地調査をし、札幌に比較的近く石狩川の水運も利用できるこの地に決め、集治監を造り、初代の典獄(樺戸集治監の長)になったと。
そして、初代典獄の名が後に町名となった。

直筆の調査報告書や集治監全体の復元ジオラマ、歴代の典獄の紹介、シアター映像、など多数展示。
元新撰組の永倉新八が看守への剣術師範として居た時期もあり、それらにまつわる展示物も。


新館にも地下通路で繋がり、入館料300円にしてはかなり充実した展示。

網走監獄の見学の時も感じたが、今の北海道があるのは、連れてこられた囚人達の働きによる所が大きい。
やがて強制労働は非人道的ということで改められ樺戸集治監も大正時代に廃監。


4時間近くみっちり見学。勉強になったわ、集治監の起こりを理解出来た。

この後、札幌に戻り、いつもの日本酒居酒屋「ふらの」で飲んだ。

そして、翌日は夕張です。

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